地学部日誌
短い夏休み最後の部活動
久しぶりの日誌更新です。
コロナの影響で短くなってしまった夏休み。
いつもなら文化祭の準備に時間を使う頃ですが,
今年はいつもと勝手が違います。
でも,来年の文化祭は開催できるものと信じて
今の活動に取り組みます。
△本庄市の地形を調べています。
なかなか思うような活動ができませんが、
それぞれの研究目標を探しながらがんばっていきます!!!
星めぐり②“秋の星空-アンドロメダ銀河-”
朝晩涼しくなって,どこからか流れてくるギンモクセイやキンモクセイの香りが,秋の深まりを感じさせます。
秋の星空【図-1】には,夏と冬の星空を一緒に見られるという楽しさがあります。東の地平近くには早くも冬の星座であるオリオン座が見えてきました。いっぽう,西の地平近くには天の川をまたぐように見えていた夏の大三角形がまだ健在です。そしてそのすぐ隣の天頂付近にこの季節の主役「秋の四辺形」が見えています。この四辺形は「ペガスス座」の一部であり,羽根の生えた馬(天馬)ペガススの胴体部分に見立てられています。南の空を向いたときにペガススは逆さまになりますが,この四辺形の一番北よりの星は「アンドロメダ座」のアンドロメダ姫の左耳を飾る星で「アルフェラッツ」といいます。このアンドロメダ座にはかの有名な「アンドロメダ銀河」【図-2】を見ることができます。
【図-2】アンドロメダ銀河
【図-3】ペガススとアンドロメダ
その位置はアンドロメダ姫の右の腰あたりなのですが,残念ながら夜空にはアンドロメダ姫の姿【図-3】は描かれていませんので,銀河を見つけるには先ほどのアルフェラッツと,北極星を探すときのめやすになる「カシオペア座」との中間あたりを探してみて下さい。なんとなくボーッとした小さな淡い光が見えたらそれがアンドロメダ銀河です。
天体望遠鏡を買うと真っ先に見るのが月のクレーターで,次に見るのが土星の輪か木星の縞模様,そして冬なら「すばる(プレアデス星団)」か「オリオン大星雲」,そして秋ならアンドロメダ銀河といったところでしょうか。星や銀河の写真集を見慣れているひとには「ちょっとがっかり」な瞬間になるのですが,それでもこのアンドロメダ銀河を望遠鏡を通してみるという行為は,私たちから約260万光年もの遠い距離を見渡すという雄大なものなのです。また,アンドロメダ銀河は,私たちの所属する「天の川銀河」と南半球に行かないと見られない「大マゼラン雲」「小マゼラン雲」などとともに,確認されているだけでも大小50以上もの銀河で構成する「局部銀河群」という銀河集団をつくっています。つまりアンドロメダ銀河は「同じ地域のお隣さん」というわけですね。
さらにそのうえ,アンドロメダ銀河は現在,毎時50万キロメートルの速度で銀河系に近付いており,30~40億年後には天の川銀河はアンドロメダ銀河と衝突すると考えられています(その前に大小マゼラン雲とも衝突すると考えられています)。人類が生まれて400~500万年といわれていますから,両銀河の衝突までにはまだ間があるといえるでしょう。ただ,「衝突する」とはいっても実際には混ざり合い,合体するようなもの,壊れてしまうわけではないようです。晴れた日の夜空を見上げてそんなお隣さんを眺めてみてはいかがですか?そうそう,天体望遠鏡でなくとも双眼鏡でもよく見えますよ。
星めぐり①“七夕”
地学があつかう分野に「天文」があります。
天文学の始まりは古代メソポタミアの占星術であるとされますが、学校で学ぶ天文学(地学)には当然占星術はありません。でも、古代の人々が星を眺め、観測し、天体の運動を生活のよりどころにしたことは、現在の天文学が生活に深く関わっていることからもうかがえます。
さて「七夕」です。なんで今ごろ「七夕」?まぁそれはあとで説明するとして「七夕」、どう読みますか?「七・夕」は「た・なばた」「たな・ばた」「たなば・た」どれですか!?さて困りました。いずれにしても「たなばた」と読むのが一般的ですが、実はその読み方は本来の読み方ではなく「当て読み」なのです。「七夕」は「しちせき」と読みます。
「七夕(しちせき)」はかつて宮廷で行われた節会(せちえ)と呼ばれる五つの宴会(五節句)のひとつでした。「端午の節句(5月5日)」もそのひとつです。中国から輸入された風習ですが、7月7日には同時に裁縫の上達を願って織物(機)と供物を、棚にささげたといわれています。つまり「棚機(たな・はた)」ですね。それによく似た日本古来の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と、やはり中国から伝わった織女(しょくじょ:おりひめ星)牽牛(けんぎゅう:ひこ星)の伝説とがミックスされて奈良時代に「たなばた」行事になったといわれています(もちろん諸説あります)。
で、その「たなばた」をなんで今ごろ?ですが、みなさんご存じのように7月7日って梅雨(つゆ)の真っ最中ですね。ほとんど天の川をおがむことなんてできません。なぜ?なんでそんな時に星を見上げる行事を?そこにもう一つの天文学「暦(こよみ)」が関係します。‥‥これも高校の地学では扱わないのですが(国語の「古文」ではあつかいます。文学的に。)、現在日本をはじめ多くの国で利用している暦はいわゆる太陽暦で「グレゴリオ暦」といいます。この話をくわしく語るとそれだけで一話完結になってしまうので、『私たちが使っている「カレンダー(calendar)」は今から435年前の1582年にローマ法王グレゴリウス13世が決めた』とだけ知っておいていただきます。この暦のことを日本では「新暦」と呼んでいるのですが、では旧暦は?というと、1873年(明治6年)に新暦に変わる(改暦)まで日本で使われていたのが旧暦「天保暦(てんぽうれき)」です。この天保暦はいわゆる「太陰太陽暦」で、1年365日を月の満ち欠けで数えていきます。ところが月の満ち欠けの周期は約29.5日であるため、ひと月ごとに少しずつずれが生じます。そのずれを19年に7回(ハンパだなぁ!)解消するために「閏月(うるうづき)」という一ヶ月を置きます。今年は閏五月がありました。そのために直後に近い旧暦七月七日が、新暦で今年は来週28日月曜日にあたるという、7月7日とはずいぶん離れたところに来てしまいました。‥‥これでやっと本題に戻りました。「たなばた」は地方によってはこの旧暦に行うところもあるので、これから「七夕行事」が行われる地方があるわけです。というわけで、今年の七夕はこれからというところがある、というのが今回のお話のひとつ。
で、その「たなばた」の舞台である夏の夜空ですが(ここでやっと図をご覧いただきます)、上で述べたように新暦の7月7日は梅雨の真っ最中ですのでおりひめ星(こと座のベガ)とひこ星(わし座のアルタイル)が見られないことが多いのに対して、旧暦七月七日は全国的にほぼ梅雨が明けたあと(2017年:8月28日、2018年8月17日、:2019年:8月7日、2020年:8月25日、…等々)になります。ですからこの伝統的な七夕の日には天の川の両岸におりひめ星とひこ星が見られることが多いのです。それでも天気が崩れて雨が降ることがあり、この雨を「催涙雨(さいるいう)」と呼んでいます。
さらに、です。二つの星が1年に1度だけ会えるという、その瞬間が夜空で見られるのか!?
残念ながら「むり~!」2つの星の間の距離は約14.4光年。光の速さで14年以上かかる距離ですし、そもそもこんな距離を星が勝手に行き来することはありません。
2つの星の出会いはありませんが夏の夜空はとても賑やかです。図は8月28日の午後10:00ごろの星空ですが、天の川が北東(図の左上)ペルセウス座付近の地平から南西(図の右下)射手(いて)座付近の地平にかけて、一年で一番美しく長い弧を描いて横切り、そのはしで月齢6の月と黄色い土星が沈もうとしてます。気象条件が整えば、本庄はもちろんのこと熊谷、深谷、行田地域でも天の川が見えるはず。その両岸で輝く1等星の、明るいほうがおりひめ星、やや暗いほうがひこ星です。南の地平に近いあたりの天の川は銀河系の中心部分で、いわばもっとも星が多く、天の川も濃い部分を見ていることになります。いて座やさそり座はその付近にあります。最近の研究では銀河の中心には「超巨大ブラックホール」が存在していると考えられています。もちろん見えませんが。
‥‥さて、天気はどうでしょうか。夏休みの最後の星空を眺めてみてはいかが?
校内石めぐり③
「自然は面白い。」
地学を学ぶことの土台に、この考えがあります。そして、このことが自然を真似ることに人間を向かわせました。「学ぶ」ことの始まりは「真似(まね)ぶこと」だと言われます。前回紹介した石灰岩は、人間が石を真似るための材料「セメント」の原料として利用されています。
中庭の片隅に見慣れない石があります(中庭の写真には写っていませんが写真の→の先にあります)。
一見すると「礫岩(れきがん)」のようです。
礫岩は堆積岩(たいせきがん)の一種です。見慣れた小石からひと抱えもある大きさ(数値的には2mmから1mちょっと)までの石が、だいたい同じ大きさどうしで集まって(堆積して)固まったものがよく見られます。さて中庭のこの石、どうでしょうか?
アップすると… ↓
実はこれ、「コンクリート」なのです。砂と小石、そして例の「セメント」を水で混ぜ合わせて固めたものです。礫岩(↓)によく似ていると思いませんか?そう言われると「なるほど…」と思うでしょう。
←画面幅約80cm→
この「礫岩顔したコンクリート」は角がしっかりある形をしていますからコンクリートだとすぐにわかりますが、これが山の中でカドの取れた形で出てきたら「ほとんど礫岩」です。地質調査でこれが出てきたりすると「えっ!!何でこんなところに礫層が!?」と混乱すること間違いなし。何せ本物の石を真似て人間が作ったもの(もちろん、構造物として)ですから、似ていて当然。ちなみに堆積岩が固まる過程を専門用語で「続成作用(ぞくせいさよう)」といいますが、この石が固まるしくみには前回も登場したCaCO3(炭酸カルシウム)というセメントと同じ成分が関わっていますから、できあがったものが似ているのも仕方ありません。自然が何千年、何万年、ときには何億年もかけて作り上げるものを人間が数日で作ってしまうのです。ただ、その「即席」がたたって壊れるのも早くなります。使っている材料にもよりますが、一例として1964年のオリンピック東京大会にあわせて建設された首都高速道路や東海道新幹線のコンクリート構造物に、50年たってあちらこちらで劣化(ひびやはがれ)が見られるようになったと最近のニュースで報じられました。
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自然が作り上げるものには、私たちの力が及ばないエネルギーや時間尺度が込められているといえるでしょう。また、自然の石はそれが造られた場所について多くのことを教えてくれます。例えば前々回のチャートや前回の石灰岩は深海底で造られたことを教えてくれます。礫岩は礫の大きさや形、礫種(含まれる礫の種類)によって異なりますが、丸い礫の場合はかつてその場所が、陸に近い比較的浅い海や湖、河川であったことを教えてくれます。
校内石めぐり②
関東地方も梅雨が明け、いよいよ本格的な夏に入りました。
第2回校内石めぐりは多くの教室から見える中庭の石たちです。
7つの石はどれも埼玉県では秩父周辺で見ることのできる石ばかりですから、地元の石屋さんから仕入れたものであることは間違いないでしょう。
さてその中のひとつ、中央にひときわ目立つ石があります。
前回のチャートと同様に、秩父ではなじみの石「石灰岩」です。さてここで質問。みなさんは、秩父には近代日本、さらに戦後の日本を支えた石灰岩の山があることをご存じでしょうか?
そう、秩父のシンボル「武甲山」です。
武甲山はまさに「我が身を削って」日本の戦後の発展に寄与しました。その山体の北側が良質の石灰岩でできている武甲山からは大量の石灰石が掘り出され、コンクリートやモルタルの原料である「セメント」が作られて国内だけでなく海外にも送り出されていった歴史があります。もしかすると本庄高校の校舎だって、武甲山の石灰岩から作られたかも知れません。
石灰岩の化学組成はCaCO3(炭酸カルシウム)です。原料は何かというと、貝やサンゴそのほかの海の生物の遺骸、場合によっては大気の中のCO2(二酸化炭素)と海水中のCa(カルシウム)です。つまりそのふるさとは「海なし県の埼玉」にはない「海」そのものです。くわしい説明は省きますが、遠い遠い太平洋の深い深い海の底がふるさとなのです。
中庭の石灰岩がどこで採れたものかは永遠にナゾですが、その成り立ちは武甲山の石灰岩と大きくは違わないはずです。とすると、この石灰岩にも太平洋の海底のなごり…場合によっては「化石」が見つかるかも知れません。地学部に入って調べてみませんか?
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入部勧誘はさておき、石って調べれば調べるほど不思議なものです!!
校内石めぐり①
記念すべき第1回は埼玉県に見られる石としてはきわめてポピュラーかつバラエティに富んだ「チャート(chert)」です。かつて着火道具がさほど多くなかった時代には「火打ち石」として鋼(はがね)と打ち合わせて利用されたものもあります。時代劇などで見ることもあるでしょう。現在もごく一部で「厄払い」的な利用をすることもあるようです。
さて、くだんのチャートですが、図書館前の花壇に「ど~ん!」と鎮座しています。高さ1m70cmくらいある総重量何トンもの、縮緬皺(ちりめんじわ)のような模様のある赤色層状のチャートで、「昭和58年度卒業記念」の銘板がはめ込まれています。