日誌

考古部日誌

12月25日(木)令和7年度探究活動生徒発表会出場

 12月25日(木)、埼玉県教育局主催、令和7年度探究活動生徒発表会が日本薬科大学を会場に開催され、本庄高校を代表して、考古学部2年青山さんと池永さんが出場しました。当日は、県立高校65校が午前と午後の部に分かれ、口頭発表とポスター発表が実施され、本庄高校は、午前の部ポスター発表に出場しました。発表内容は、5月25日(日)、筑波大学を会場に、日本考古学協会主催高校生ポスターセッションで発表した内容「妻沼聖天様。地域とともに歩んだ800年」を発表しました。

 午前の部ポスター発表は、10時から12時ですが、本庄高校の発表に、いずみ高校、越谷北高校、坂戸高校の生徒が説明を聞き、積極的に質問をし、探究を深めることができました。発表後は、日本薬科大学の食堂を利用し、持参した弁当を食べながら、ポスター発表について話合いました。事前に学校で放課後練習した成果を発揮することができ、緊張せずに、鋭い質問にも対応することができました。

 昼食後、会場を片付け、午後の部を見学し、解散しました。とても貴重な体験することができ、有意義なクリスマスの日となりました。以下のように、図書館入口ホワイトボードにポスター発表の様子を掲示していますので、ご覧になってください。

 

11月15日(土)「世のため 後のため」塙保己一記念館巡検

 11月15日(土)に本庄市の「世のため 後のため」塙保己一記念館を巡検し、塙保己一記念館、塙保己一生家、塙保己一墓地等を訪れました。当日は9時20分に本庄高校図書館前に集合。本庄高校入口バス停から乗車し、児玉駅入口で下車。明治30年創業の和菓子屋梅月堂で小倉・白・柚子の三色あんの塙保己一最中を購入し、児玉総合支所まで徒歩10分で塙保己一記念館に到着。入場料は無料ですが、本庄高校OB本庄市職員杉原初氏に案内していただき、まず塙保己一の生涯についての映像を視聴。次に、杉原氏より、7つの展示コーナーの見どころである群書類従と版木について、とてもわかりやすく説明していただき、見学しました。

 館内は、日本語と英語の音声説明をヘッドホーンで聴くことができます。塙保己一は、日本女医第一号の荻野吟子や三重苦を克服したヘレン・ケラーにも多大な影響を与えたことが解説されていました。記念館巡検後一万歩以上歩き、樹齢200年以上の榧木、塙保己一生家と墓地、実相寺境内等を見学しました。生家は、現在も子孫の方が生活しながら管理していることを知りました。

 巡検後の昼食は、購入した郷土銘菓である最中や食堂金そばで手打ち中華そばを食べながら、巡検内容を話合い、後日まとめる打合せをしました。帰りは、ゆきと同様にバスに乗車し本庄高校入口で下車し、14時20分に解散しました。

 下記のように、巡検写真を図書館入口のホワイトボードに掲示していますので、ご覧になってください。

 

 

9月22日(月)、上里町陽雲寺巡検

 9月22日(月)の第2回学校説明会の代休日に、考古学部は今年度2回目として、社会科研究同好会と合同で上里町の陽雲寺を巡検した。当日は、住職の武田義光老師より、およそ430年前の柱の残る本堂で陽雲寺の縁起を解説していただき、境内の陽雲院(武田信玄夫人)墓、鐘楼、畑時能(新田義貞四天王)供養祠などを見学した。

 陽雲寺は、現在は曹洞宗であるが、平安時代は天台宗の開基最澄の弟子円仁が開いた寺院であった。鎌倉時代は新田義貞が不動堂を造立した。陽雲寺の北西に金窪城跡があり、上州と武蔵の国境の城として重要な地位を占めていた。室町時代は、大畠氏、斎藤氏が金窪城主となった。天正10(1582)年神流川合戦が勃発し、滝川一益と鉢形城主北条氏邦が戦い、陽雲寺は金窪城と共に戦火により全焼した。江戸時代に武田信玄の弟信實の子信俊が、徳川家康に仕えた。元禄11年に丹波に転封され、金窪城が廃城となり、陽雲寺は衰退した。幕末の安政3(1856)年に武田信敬は復興に努め、養子正樹を陽雲寺住職とし再興を果たし、現住職に至るとのことである。

 陽雲寺は多数の文化財を保有しているが、中でも戦時中供出を免れた鐘楼は見事である。また、狩野派の手による武田信玄夫妻像、さらに、武田晴信(信玄)書状は、東京国立博物館が保管しているとのことである。

 当日は、秋晴れの天候に恵まれ、本庄駅に集合し、高崎線神保原駅を下車し、旧中山道(国道17号)に沿って30分以上歩いた。身近な地元の歴史に触れ、歴史的に有名であるにも関わらず、知られていないことが多数あり、とても勉強になった。巡検後はイオンタウン上里のフードコートで各自、昼食をとり、巡検したことを分担してまとめることを打合せし、解散した。図書館入口ホワイトボードに以下のように、巡検の写真を掲示してあるのでご覧になってください。   

考古学部、2年連続『歴史研究』高校生招待席に研究論文が掲載されました!!

 昨年度『歴史研究』6月号に掲載された考古学部中島喜之介さんに引き続き、考古部部長横山響来さんが、2024年5月26日(日)、日本考古学協会主催高校生ポスターセッションで発表した論文「東京第二陸軍造廠深谷製造所」が『歴史研究』8・9月号に掲載されました。

 2年連続で『歴史研究』高校生招待席の寄稿依頼を受け掲載されることとなりました。深谷市に戦時中存在した戦争遺跡について、現地調査・聞き取り・文献調査を通じて、その概要を明らかにした力作です。今現在、『歴史研究』8・9月号が図書館に寄贈され図書館入口の話題図書コーナーに展示されていますので、是非ご覧になってください。

 

 

5月25日(日)日本考古学協会主催高校生ポスターセッション3年連続出場

 5月25日(日)、日本考古学協会主催高校生ポスターセッションに考古学部が3年連続で出場することができました。全国の高等学校が応募し、本庄高等学校が全国18団体の1つに選出されました。

 今年度の研究テーマは、「妻沼聖天様。地域とともに歩んだ800年」です。昨年度11月23日(土)に妻沼聖天山国宝本殿を巡検し、研究を深め、写真撮影や現地調査をしました。発表内容は、昨年度2学期後半から埼玉県史、妻沼町・熊谷市の各種研究史などを参考史料とし2・3年生部員がまとめた力作です。

 当日は、日本考古学協会総会に参加していた研究者と他校発表者に研究内容をまとめたポスターを掲示して、午前2時間、午後2時間発表・説明をしました。会場は筑波大学筑波キャンパスということで、片道電車とバスを乗り継ぎ3時間近くかかりましたが、とても有意義で貴重な体験をすることができました。下記のように、当日の写真を図書館入口のホワイトボードに掲示しています。

令和7年度考古学部、5月3日(土)本庄早稲田の杜ミュージアム巡検

 今年度の第1回は、5月3日(土)に本庄早稲田の杜ミュージアムを巡検しました。当日は本庄駅南口に9時に集合し、徒歩で約40分かかりましたが、晴天に恵まれ爽やかな風に当たりながら入館しました。館内では、学芸員の松本完氏に展示物である考古学資料について、説明していただきました。本庄市の旧石器時代は、2万数千年前に遡り、ミュージアム裏手の浅見丘陵地帯に遺跡があり、人類の足跡を知ることができます。縄文・弥生時代の遺跡は、平野部に移り、児玉地域から土器が多数出土していますが、特色としては群馬・栃木から出土された土器などの影響を知ることができます。古墳時代の遺跡から出土した「はにぽん」のモデルとなった盾持人物埴輪は3体ありますが、一番有名なものは残念ながら九州国立博物館に貸出中で実物は見ることができませんでした。

 今回学芸員の松本完氏の計らいで、具体的に石器や土器を触れるコーナーを作っていただき、実際触れることができました。さらに、早稲田大学の会津八一記念館で展示されていたエジプトの考古学資料も見ることができました。

 小さい時から何気なく見ている石器、土器、埴輪ですが、私たちが知らなかった新たな発見があり、とても勉強になりました。下記のように、巡検写真を図書館入口のホワイトボードに掲示しています。

令和6年度考古学部、11月23日(土)妻沼聖天山国宝本殿巡検

 考古学部は、今年度夏季休業中8月9日(金)の近現代についての巡検に続いて、2回目の巡検を社会科研究同好会と合同で実施しました。11月23日(土)9時50分に熊谷駅北口朝日バスの6番乗り場に1・2・3年8名が集合し、熊谷駅10時2分発のバスに乗り、妻沼聖天前で降り巡検をしました。事前に2週間前にボランティアガイドを予約しました。当日は石橋伸一郎氏による妻沼聖天山の案内、歴史、建造物、斎藤別当実盛、国宝本殿について1時間以上かけて丁寧に説明していただき、大変勉強になりました。十年以上のベテランガイドの心のこもった語りに感動しました。来年度の考古学協会主催高校生ポスターセッションのテーマとして、研究を深めて出場する予定です。

 巡検後は、昼食となりました。当日は名物聖天寿司を食べる予定でしたが、残念ながら観光客が多く売り切れてしまい食べることができませんでした。代わりに実盛公うどんなどを各自食べました。帰りは、妻沼聖天前13時10分発バスに乗り、熊谷駅で降り、今後の打合せをして14時半に解散しました。

 巡検写真を図書館入口のホワイトボードに掲示していますのでご覧になってください。

6月14日(金)、考古学部部長中島喜之介さん、埼玉新聞朝刊に掲載

 6月4日(火)放課後、埼玉新聞社の取材を受け、考古学部部長中島喜之介さんが6月14日(金)埼玉新聞朝刊に掲載されました。昨年度、日本考古学協会主催高校生ポスターセッションで発表した「鎌倉街道について」の論文が今年度『歴史研究』という雑誌に掲載されたことに対する取材を受けました。以下に掲載された雑誌が展示されている図書館コーナーの写真、取材風景、掲載された新聞記事を紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月26日(日)、日本考古学協会主催高校生ポスターセッション出場

 5月26日(日)、日本考古学協会主催高校生ポスターセッションに、考古学部2年横山響来君が昨年度の中島喜之介君に引き続き出場することができました。

全国の高等学校が応募し16団体が選出され、北は福島県立相馬高等学校、南は鹿児島県立古仁屋高等学校ですが、本庄高等学校も16団体の1つに選出されました。

 横山君の研究発表テーマは「東京第二陸軍造兵廠深谷製作所について」で、1年次の夏休みから研究を深め、深谷市役所、深谷市立図書館、深谷第一高等学校、埼玉県立平和資料館、埼玉県立文書館、埼玉県立熊谷図書館、田島様、栁瀬様、持田様にご協力をいただき、自ら現地を巡検し調査したことを写真撮影したり、直接ご指導いただいたことをまとめた力作です。

 当日は、日本考古学協会総会に参加していた研究者の方々に研究内容をまとめたものを掲示して、午前2時間、午後2時間発表、説明しました。会場は千葉大学西千葉キャンパスの法政経学部ということで、片道電車を乗り継ぎ3時間近くかかりましたが、とても有意義な貴重な体験をすることができました。

 下記のように、当日の高校生ポスターセッション写真を図書館入り口のホワイトボードに掲示しています。

 

令和5年度考古学部、12月23日(土)世良田東照宮、新田荘歴史資料館巡検

 今年度3回目の巡検として、群馬県太田市にある世良田東照宮と新田荘歴史資料館を訪れました。NHK大河ドラマ「どうする家康」は終了しましたが、世良田東照宮は徳川家康が祭られている神社で、社殿は日光東照宮奥宮を移築したものです。本殿は、左甚五郎作「巣籠もりの鷹」の彫刻が有名です。また、江戸時代に前橋藩主、川越藩主、忍藩主が奉納した石灯籠が拝殿前に設置されています。先ず、神社入口の御黒門の前で記念写真を撮り、江戸時代に御神領200石の高札と上番所を見学しました。宝物保管陳列所に入館し、神社の由来や歴史について学習しました。残念ながら、社殿は改修工事中でしたので、上がることはできず、周りから見学しました。

 次ぎに、隣接している新田荘歴史資料館の入口にある新田義貞公銅像の前で記念写真を撮り、入館し、縄文時代から江戸時代までの新田荘の歴史について学習しました。実は、徳川家康は新田義貞の先祖である義重の子である義季を先祖としています。故に日光東照宮と同様に世良田東照宮も江戸時代幕府の手厚い保護を受けました。また、江戸時代までは神仏習合で隣接している長楽寺も天海僧正を住職に任じ大寺院として栄えました。

 巡検後、新田義貞公の銅像前で、文部省唱歌「鎌倉」の剣投ぜしの歌詞にある稲村ヶ崎の戦いを思い浮かべながら、水筒のお茶を飲み、お弁当のおにぎりを食べました。3学期は、巡検結果をまとめ、考察を深めたいと思います。

 下記のように、巡検写真を図書館入口のホワイトボードに掲示しています。