日誌

2025年9月の記事一覧

9月22日(月)、上里町陽雲寺巡検

 9月22日(月)の第2回学校説明会の代休日に、考古学部は今年度2回目として、社会科研究同好会と合同で上里町の陽雲寺を巡検した。当日は、住職の武田義光老師より、およそ430年前の柱の残る本堂で陽雲寺の縁起を解説していただき、境内の陽雲院(武田信玄夫人)墓、鐘楼、畑時能(新田義貞四天王)供養祠などを見学した。

 陽雲寺は、現在は曹洞宗であるが、平安時代は天台宗の開基最澄の弟子円仁が開いた寺院であった。鎌倉時代は新田義貞が不動堂を造立した。陽雲寺の北西に金窪城跡があり、上州と武蔵の国境の城として重要な地位を占めていた。室町時代は、大畠氏、斎藤氏が金窪城主となった。天正10(1582)年神流川合戦が勃発し、滝川一益と鉢形城主北条氏邦が戦い、陽雲寺は金窪城と共に戦火により全焼した。江戸時代に武田信玄の弟信實の子信俊が、徳川家康に仕えた。元禄11年に丹波に転封され、金窪城が廃城となり、陽雲寺は衰退した。幕末の安政3(1856)年に武田信敬は復興に努め、養子正樹を陽雲寺住職とし再興を果たし、現住職に至るとのことである。

 陽雲寺は多数の文化財を保有しているが、中でも戦時中供出を免れた鐘楼は見事である。また、狩野派の手による武田信玄夫妻像、さらに、武田晴信(信玄)書状は、東京国立博物館が保管しているとのことである。

 当日は、秋晴れの天候に恵まれ、本庄駅に集合し、高崎線神保原駅を下車し、旧中山道(国道17号)に沿って30分以上歩いた。身近な地元の歴史に触れ、歴史的に有名であるにも関わらず、知られていないことが多数あり、とても勉強になった。巡検後はイオンタウン上里のフードコートで各自、昼食をとり、巡検したことを分担してまとめることを打合せし、解散した。図書館入口ホワイトボードに以下のように、巡検の写真を掲示してあるのでご覧になってください。